こころのドア
2008年06月11日
好意を素直に受け取ること
こんにちは。藤井です。
教室へ通うために乗り合わせた電車の中でのこと。
途中の駅でお年寄りがその電車に乗ってきました。
近くの座席に座っていた若い男性が、お年寄りが乗ってきたのを見て座席をゆずろうと席を立ちます。
ところがお年寄りは「少しで降りますから結構ですよ」と若者の好意を断ったのです。
席をゆずろうとした男性はもう一回すすめたのですが、お年寄りは座ろうとしません。
若者はいったん席を立った以上そのまま座り直すことに抵抗を覚えたのか、隣の車両へと移っていきました。
2008年06月07日
自由なようで自由でない?
こんにちは。藤井です。
先日テレビで『本を売るための様々な取り組み』について放送していました。
本の出版数が増えるのとは反比例して売り上げが低迷しているとかで、出版業界や本屋さんはいろんな工夫をしているようです。
その一つの取り組みとして『売り上げランキング』というのがあります。
本屋さんに行ったことがある人なら知ってると思いますが、店頭のラックにランキング順位ごとに商品を陳列し、お客さんの購買意欲を高めようとする方法です。
実際この方法によって本の売り上げが少し増したそうですが、ただ売れたのはランキングに入った本だけだったとのこと。
本屋さんいわく、昔のお客さんは自分の興味ある本が陳列されている書棚の前に立って、じっくり読みたい本を物色していたが、近頃のお客さんの傾向は「売れている本はきっと面白いだろう」といった感じで簡単に選び、店内を歩いて自分が求める本を探すということをしなくなったようです。
2007年10月10日
先入観

先日、わたしの留守中にある人から電話がかかってきました。
電話をとった家人が、帰宅したわたしに
「イシダという人から電話あったで。なんや薄気味悪い、陰気そうな変な人やったわ。知ってるんか?」
と言うので、とっさに「薄気味悪い陰気そうなイシダ」という人物のイメージを頭の中で探しました。
そもそも、ここ数年「イシダ」という名前の人物とは出会った記憶がないし、「薄気味悪い陰気そうな」人物についても思い当たるフシがない。
そこで、もう一回だけ確認してみたところ、
「たしかに、イシダ言うてたで。帰ってきたら電話くれって電話番号をメモしてるわ」
知らない人物にこちらから電話するのは、なんとなく気が引けてきます。
「イシダ」という名前に覚えがないし、それよりも「薄気味悪い陰気そう」な人物であるということが、余計にためらう気持ちを増加させます。
しばらくためらった後、「実際に電話で話してみないと分からない」ということで電話をかけてみました。
すると…
じつは高校の同級生でした(笑)
用件は、一部の卒業生が運営する団体への寄付を集めているとか。
彼とはそれほど仲がいいというほどでもなかったのですが、あまりにも久しぶりだったので、高校時代の話やお互いの近況を話し合って電話を切りました。
それにしても・・・「薄気味悪い陰気そうな人」だなんて、あとで思い返してみるとすごい表現だなぁ。
わたしたち人間は、人物に限らずあらゆるものに対して「先入観」というものを持っています。
その人と実際に会って「あの人って、こんな人」と決めつけることもあるし、人から聞いて「へぇ、あの人ってそんな人だったんだ」と信じ込むこともあります。
でも、よくよく考えてみると、その人はずっとイメージ通りというわけでもないのです。
これはわたしの経験ですが、以前勤めていた会社でとても苦手な人がいました。
その人に対してずっと苦手意識があるので、なかなかコミュニケーションがうまくいきません。
あるとき同僚にその人について聞いてみたことがあります。
すると、「あの人は好きやで。分からないことがあっても聞いたら教えてくれるし、指示も的確やから仕事しやすい。」と言うので驚きました。
それを聞いたわたしは「この違いはなんだろう?」「もしかすると、自分は嫌われているのだろうか?」「きっと自分のことが嫌いなんだ!」と、勝手に想像をふくらませていきました。
そんな状態がしばらく続いたあとのこと。
まだ若かったわたしに少々重たい仕事が回ってきたのですが、同僚や先輩の助けをもらいながらもなんとか仕事をやり遂げました。
そのときに、例の苦手な人から「おう、ようやったなぁ!ごくろうさん」と声をかけてくれたのです!
そのときの表情がとてもにこやかで、それまで抱いていたイメージがスッ飛んでいきました。
どうして、それまでずっと苦手意識を持っていたのだろうか?
なんのことはありません。
「眉毛が太くて吊り上がっていて、眉間に縦ジワがある人は怖い人」
たったこれだけだったのです(笑)
人間関係を見つめ直してみると、意外と先入観に左右されていることって多いものです。
知人から聞いた話をそのまま鵜呑みしたり、第一印象だけで決めつけたりしていませんか?
先入観によってその人との接し方が大きく違ってきます。
みなさんも、いちど先入観を点検してみてください。
2007年09月03日
つくつくぼうし
一時の猛暑が少し和らいで、朝晩めっきり秋めいてきました。
落日の時間も早まり、本格的な秋がすぐそこまで近づいているようです。
“シャンシャンシャンジージー・・・”というクマゼミの鳴き声も消えて、とても静かな朝だな、なんて考えていてふと気づいたことがあります。
そういえば、ツクツクボウシの鳴き声が聞こえない?!
たしか、7月後半〜8月中頃にかけてクマゼミが鳴き、クマゼミとバトンタッチするようにツクツクボウシが鳴いて秋が近いことを告げていたように思う。
ところが今年はツクツクボウシの鳴き声を全く聞いた覚えがない。
クマゼミの鳴き声にかき消されて聞こえなかっただけだろうか?
ちょうど今ぐらいの時期に、近くの木々で“ツクツクボーシツクツクボーシツクツク・・・”と鳴いていたはず。
どうしちゃったんだろう?
先日あるテレビで「大量発生」をテーマにした番組が放送されていました。
その番組で「大阪でクマゼミが大量発生」というのがあり、なんでもヒートアイランド現象により平均気温が上昇し、それに伴って湿気が低下して土が乾燥して固くなったのが原因だとか。
セミは木の枝に産み落とされた卵から幼虫がかえり、木を降りて地中にもぐって成長します。
ところが土が固くなってしまうとアブラゼミなどクマゼミ以外のセミは地中にもぐることができずに死んでしまうのだそうです。
クマゼミは少々土が固くなっても地中にもぐることができるのだとか。
ツクツクボウシも地中にもぐれなかったのかな?
最近の地球は自然破壊や温暖化など、いろんな要因で傷ついています。
スイスの氷河はどんどん溶け出し、洪水となって街を飲み込みながら海へと流出している。
北極では凍って当然だった海域が凍らないため、北極グマが食料を捕獲するのに困難な状況になっている。
日本近海では水温が上昇したことにより、魚介類の生息がどんどん北上し漁業に大きな損害が出ている。
・・・などなど。
こうして見ると、困っているのは人間だけじゃなくて、自然の生き物たちも困った状況に陥っていることがうかがえます。
大量発生したクマゼミたち。
わたしたち人間は「朝からうるさいなー」程度にしか思っていませんが、このクマゼミの鳴き声はもしかすると、「たいへんな問題がすぐ近くに来てるよ」というメッセージなのかも。
今では、世界各地でいろんな研究機関や団体が温暖化について協議しています。
自然破壊を食い止めつつ、わたしたちの生活にできるだけ影響を与えない方法。
大きな発想の転換をして『第三の選択肢』が求められているように思われます。
わたしたち一人ひとりも、今できること協力できることを少しずつ取り組んでいかなければいけない時期が来たのかも知れませんね。
だって、この地球が壊れたら、わたしたち人間も生きていけませんから。
Fujii
2007年08月13日
せいいっぱいに生きよう
こんにちは。
ここのところ毎日35度前後という猛暑が続いています。
みなさんはいかがお過ごしですか?
わたしは毎日、通勤に地下鉄を利用しています。
千日前線の小路駅を降りて、そこから徒歩で近鉄布施駅方面へ歩きます。
ちょうどその途中に、一見して民家に見えるお寺があるのですが、お寺の玄関には小さな黒板が吊られており、その黒板に訓戒というか説法のような短い言葉が書かれています。
記憶に残っているものでは
『己の愚かさを知るものは賢く、愚かさを知らぬは愚かなり』
『他人に優しく、自分に厳しく』
というような言葉が書かれていました。
これらの言葉で不思議に思うのは、ちょうどその時々に自分が直面している状態や問題点に関連していることです。
例えば、気持ちが少しばかり有頂天になっているときに『己の愚かさを知らぬは愚かなり』という言葉がかかげてあったり、という感じです。
今週は次のような言葉がかかげてありました。
『せいいっぱいに生きよ。願われし命を』
この言葉を初めて見たとき、心の中にじんわりと染み込んでくるような感じがしました。
それから「よし!今できることから精一杯にがんばってみよう!」と気合が入ったものです。
人はみな、それぞれに希望を持って生きています。
しかし、どんなに頑張っても、どれだけ努力しても希望が叶わない、そんな経験を誰しも味わったことがあると思います。
カウンセラーとはいえ、わたしも普通の人間。
同じような思いを何回も味わっています。
そのたびに「もう、ダメかな?」とか、「やっぱり無理だよな」とか、そうやってどんどん気持ちが下向きになったものです。
そんなときこそ『せいいっぱいに生きよう』という気持ちが大切なんだと思う。
人によっては「精一杯にやってきたのに、これ以上まだ頑張らなきゃいけないのか?」と怒りすら感じたり、「今までやってきたのは何だったのか?」と過去を否定するような辛い気持ちになることもあるかも知れません。
この『せいいっぱいに生きよ』という言葉は、「まだまだ努力が足りない。もっと努力せよ」という短絡的な意味ではないと思うのです。
心にゆとりを作って今一度『目指しているもの』を見つめなおし、それが今の自分にとって適切な目標なのか?と自問してみる。
すると、理想と現実に大きなギャップが浮かび上がってくるかも知れません。
そのギャップを認めたうえで理想は理想として置いておき、その理想に近づくために今の自分にできることは何なのか?をじっくり検討することが大切なんだと思います。
今の自分に出来ること、やれることから精一杯にやってみようよ。
それが『せいいっぱいに生きよ。願われし命を』につながるから。
猛暑が続いています。
熱中症を予防するためにも水分補給を忘れずに。
by Fujii
2007年07月28日
執着と愛着
昨日、17年間わたしを各地へと運んでくれた愛車と別れました。
トヨタ『チェイサー』平成2年式GX−81
長年付き合ったこともあり、たかが車とはいえ別れが辛かった。
車を引き取りに来たディーラーの人が「大事に乗ってこられましたから、それだけに愛着があったでしょうね。」と言った。
愛着・・・たしかにこの車を大切にしてきたつもりです。
しかし本当に愛着を持って、この車と接してきたのだろうか?
この車を買ったのは25歳のとき、和歌山県の田辺市に赴任していたときでした。
この時期は、とても忙しく、残業は毎月100時間以上にもなり、残業手当が基本給を上回るという異常な状態が続きました。
経済的に不自由することがなかったので、車を手に入れる前は、ひたすらパチンコに明け暮れる日々。
車が来てからは仕事が終わったあと、一人で白浜方面へドライブして楽しんでいました。
やがて地元のカーショップに出入りするようになり、いろんなものを買っては車に装備し「もっとかっこよく!もっと個性的に!」と、どんどん車にお金をかけることになります。
アルミホイールとタイヤのセットが50万円強。
当時はまだ珍しかったDSP回路を内蔵したカーコンポが約45万円。
そのほかにも細かいものをたくさん装備して、いったいどれだけ車にお金を使ったことか。
当時を振り返ってみると、ここまで車にお金をかけるのは本当にバカみたいに思いますが、そのころは車をグレードアップすることに必死。
「もったいない」なんて思いはいっさいありません。
わたしの車に対する思いは常に「もっとかっこよく!もっと個性的に!」でした。
この「もっとかっこよく!もっと個性的に!」というのは、じつは自分の欠点をカバーしようとする願望だったのではなかったか。
自分自身では実現できないことを、この車に託していたように思う。
このような思いが込められた車に対して、本当に『愛着』があったと言えるだろうか?
『愛着』というより、この場合は『執着』という言葉が当てはまります。
その証拠に、この車と別れる時のなんとも言えない辛さや寂しさは、まるで自分自身の一部をもぎ取られたかのような心境でした。
そう、この車はわたしの『アイデンティティ』の一部になっていたのですね。
自分の欠点をカバーするために持ち続けた車。
自分の願望や欲望をたくさん乗せた車。
その車がディーラーの人の手によって引き取られて行きました。
執着していたものを手放すことは、とても辛いことです。
しかし、執着していたものを手放すことによって、新しい何かをつかむことができるのだと思う。
車のような物に限らず、人であれ、思いであれ、人は知らず知らずのうちに執着します。
いま自分が執着しているものは何なのか?
その執着しているものは本当に必要なものなのか?
いまいちど、あたりを見回してみよう。
なにはともあれ、この車はたくさんの思い出を残してくれました。
長い間お疲れ様!本当にありがとう!
by Fujii
2007年03月27日
アロマテラピー開講
随分、ご無沙汰してた感じです。(^_^;)
さて、4月よりサロンでは 新しくアロマテラピーの講座を開講したいと思っています。
以前、わたしはこの仕事をする前に、アロマテラピーの仕事をしてたのですが、
香りの不思議さには 驚きです。ヽ(^。^)ノ
癒しもありますが、テラピーと言うだけに 療法なんですよね。
ハーブやオイルを使って、身体から こころから 治していこうってことです。
また、その時の好みの香りで、その人の様々な心模様がわかったり・・・。
入門では まず、香りの不思議や楽しみを知っていただけるように、好きな香りで香りグッズを作ってもらったりしようと思っています。
その中で、香りを通して、「わたしらしいわたし」を見つけてくださったら嬉しいな と思っています。
音楽も絵を描くことも香りを嗅ぐことも 全てこころに繋がっていくのですね。
そして その中で本当の自分が見えてくるかも知れません。
そっと、こころのドアをノックしてみてください。
まずは、楽しくリラックスできるような そんな講座にしたいと思っています。
また、深く学びたい方には、オイルの配合などをはじめ、東洋医学などを加え、簡単マッサージや、ハーブの効用などを講座に入れたいと思っています。
あなたの好きな香りはどれかな?
その香り・・・ あなたのどんな部分なのかな?
香りの不思議体験・・・ ぜひお試しください。(*^_^*)
ではでは 良い夢を。。。
室長
2007年03月14日
「さようなら」と「こんにちは」

お久しぶりです。
3月も半ばとは言え、暖冬なのに寒いですね。 この季節、身体も季節変わりのため、体調を崩される方も多いかも?
特に 自律神経がおかしくなる方が多いのですよね。
また 3月4月は 卒業や入学、新しい年度に変わる大切な時期なんですよね。
人にはそれぞれに 作られた人生のドラマがあります。
その中で、「さようなら」と「こんにちは」が いくつあったでしょうか?
何かに自分が傷ついたとき、失敗をしたとき・・・
辛いことがあったとき・・・
でも それぞれにそこから「さようなら」をして次の新しい自分に「こんにちは」をしてきたからこそ 人生のドラマが出来上がっていくのですよね。
わたし自身 振り返ってみると・・・
多くの人との出会いと別れもありましたが、 その中での自分自身の出会いと別れもありました。
戻りたいと思うことも多々あったけれど・・・ そこが自分にとって居心地が良かったかもしれないけど・・・ でもそこに戻ってしまったら 自分がダメになる。
新しい自分に「こんにちは」をしなくちゃいけないときもあるのです。
ただ 「さようなら」は 忘れることではないのです。
また 自分の中に閉じ込めて我慢することでもないのです。
「さようなら」をするときに、その方法をきちんと見つけることが大切。
やり方を間違ってしまったら 本当の「さようなら」は出来ません。
それは ただ、封印してるだけになってしまいます。
自分の感情を殺す必要はなく、今 ある自分が全てでもなく、そういう思いをしてる自分もここにいるのだ という自覚。 そして、その思いをスッキリクリアにできるように、心から叫べることです。
怒りや憎しみ・・・ そういった感情は我慢すればするほど溜まってきます。
本当は次に「こんにちは」をしたい自分はどんな自分なのか?
「さようなら」をするためには この思い・・・どうすればいいのだろうか?
理屈じゃなく、こころをオープンにして、許せる自分、感謝できる自分、新しい自分を作っていきたい・・・ そんな風に思う日々です。
また、今 悩んでる人たちが 怒りや憎しみ、我慢してる思い・・・
全て吐き出せる、こころの叫びができるように・・・
そんな思いで カウンセリングに臨もうと思っています。
カウンセラーも同じ人間です。
色々な思いを通過してきました。
その中で いろんな方法で自分のこころの中を また自分自身を 「さようなら」と「こんにちは」を繰り返してきてるのだと思っています。
「さようなら」をするときは 我慢なんか必要ないのです。
あったことは事実なのです。それは変えられません。 でもそれを刻みつけ、ちゃんと自分のこころの奥底にあるものを吐き出し、叫んでいれば・・・
素敵な「こんにちは」ができると思います。
カウンセリングをはじめ、カウンセラー養成講座では、そんなこころの底で我慢してる自分を知っていき、どんどん 叫んで欲しいのです。
また その方法を学んで欲しいと思っています。
明日は 箱庭療法の箱庭セットが届きます。(*^_^*)
箱庭は 本当にこころの叫びを少しづつ出せる 怖いけど(^_^;) 楽しい療法です。
スタッフも日々、トレーナーについて勉強しています。
興味のあるかたは 教室のドアを開けてみてください。(*^_^*)
ではでは 今日も一日がんばろう。ヽ(^。^)ノ
室長
2007年02月20日
こころのさみしさ・・・
こんばんは今日は箱庭セミナーの日でした。
わたしは箱庭療法が好きで、もっともっと勉強していきたいもののひとつです。
でも・・・自分が箱庭するってときは、少し怖いのですけどね。(^_^;)
先日何かの記事で読んだのですが、今の学生の友達とのコミュニケーション方法はなにか? というアンケートの結果によると、1位学校、2位、通学時 3位携帯メール
などでした。また、男子より女子のほうが 携帯メールを使用する頻度が高いようです。
以前、中学生が話していたことは、学校の友達より、何かのサイトで知り合った携帯のメル友が一番 なんでも話せるということです。
ん〜〜〜〜??? と 考えさせられた話でした。
傍に話せる友達がいるはずなのに・・・ 傍に話せる両親もいるはずなのに・・・
なのに どうして 顔も知らない携帯のメル友が一番の友達になるのでしょうか?
わたしの学生時代には 携帯などありませんでしたし、もちろんパソコンでメールというものもありませんでした。
リアルに毎日の生活の中で、友達に色々話したものだったのですが・・・
でも、今思えば、全て正直になんでも話せる友達って・・・果たして本当にいたのだろうか? て思います。
話せば、恥ずかしいとか嫌われるとか・・・。
きっと こころの隅でそんなことを思っていたのかも知れません。
傍に誰かがいるのに、本当の気持ちを話せない。
友達の前では ニコニコしてるけど・・・本当は こころが少しさみしい・・・
こころがひとりぼっち・・・
そんなときは ありませんか?
ちょっと誰かに聞いて欲しい・・・
さみしい気持ち・・・ それはなに?
そんなときに サロンのドアを開けてみてください。
一緒に感じてみましょう。。。
今日は大阪も春のような陽射しでした。
気持ちも少し 晴々です。(^_^;)
室長




